◎ General
政治・外交 ・政体
経済 ・主要産業
経済状況
 
◎ Entrance
ビザ
外貨申請
 
◎ Registration
観光や友人の訪問など、3ヶ月未満の滞在登録
その他 3 ヶ月以上の滞在登録
 
◎ History
歴史(一般情報)
 
一般情報
国名
セルビア共和国 (Republic of Serbia)
首都
ベオグラード(人口156万人)
面積
8万8,361km2
人口
約750万人
言語
セルビア語
宗教
セルビア正教、カトリック、イスラム教等
文字
キリル文字(ラテン文字も通常使用されている)
時差
日本よりマイナス8時間 サマータイム採用時はマイナス7時間
通貨
ディナール(100円≒56/2006年7月24日現在)
気候
大陸性気候
電圧
220V/50Hz プラグの形状はC型もしくはSE型

■政治・外交 ・政体
2003年度の憲章に基づき、セルビア共和国は2006年6月5日セルビア・モンテネグロの継承国となった。外交基本方針としてEU加盟へ向けてのEUとの関係発展が最優先。セルビアの国際関係方針としては手法としての多方相互地域協力と、地域とセルビアの欧州および大西洋への統合に向けた近隣との協力がある。セルビアは他国との平和平等関係を発展させ、国際社会とEUがバルカン地域、欧州、世界の政治安定と平和定着を得るため、国際機関が現在までに採択した決議とテロ対策を支持することで活動的に貢献する用意がある

■経済 ・主要産業
食品加工、金属、電気、化学、繊維 農業(小麦、とうもろこし、ジャガイモ、ひまわり等)
・GDP・一人当たり 2,796ドル(2004年)
・貿易額
 (1)輸出 40億300万ドル
 (2)輸入 105億2,200万ドル ・貿易相手刻 ドイツ、イタリア、マケドニア
・通貨 ディナール
・為替レート 1米ドル=73ディナール(2005年11月)

■経済状況
(1)1990年代、国際社会は一連の旧ユーゴ民族紛争の主たる責任がミロシェビッチ政権にあるとして、ユーゴに対して国連による経済制裁措置を課すとともに、国際機関へのアクセスも制限したため、国内経済は疲弊し、また国際的にも孤立した。更に99年のNATO空爆はインフラを破壊し、経済の悪化に拍車をかけた。

(2)政権交代後、国際社会は対ユーゴ制裁を解除するとともにユーゴへの経済再建と民主化促進のための支援に着手。IMF、EBRDに加盟(2000年12月)が認められ、また、2001年6月に開催された支援国会合では国際社会から総額12億8,000万米ドルの復興支援が表明された。

 
セルビア共和国の入国について

■ビザ
日本人の場合、90日以内の滞在は査証免除。
旅券残存期間:帰国時まで有効なもの

【重要】査証取得手続きに関する変更点

2010年6月1日以降、セルビア共和国入国に際して査証を必要とする、全ての日本在住の外国人(http://www.mfa.rs/Visas/VisasR.htm)に対して、査証の種類に関わらず査証手続きの申請後にセルビア当局の了承が必要となります。
詳しい査証手続きについては次のページを参考にしてください(英語) http://www.serbianembassy.jp/ENGLISH/ConsularServices.html

■外貨申請
入国時に€10000-相当以上の外貨を持ち込む場合、税関にて申請が必要。

セルビア中央銀行の決定により、非在住個人および外国人がセルビアから国外出国する際に持ち出せる有効外貨上限は€10000、もしくは同額相当の他外貨である。同時にディナール、有効外貨、小切手等を持ち出す場合は、合計の価値が€10000、もしくは同額相当の他外貨を超えてはならない。

非在住個人は国外に以下の条件で有効外貨を持ち出すことが出来る:
●セルビア共和国入国の際に申請し、税関で確認・承認された、セルビア共和国への有効外貨持込確認書のあるもの。
●セルビア共和国内の銀行の外貨預金から引き落とし、銀行の確認書があるもの。
●セルビア共和国内でディナールを両替して得た外貨で、両替所の確認書があるもの。

これらの確認書はすべて、非在住個人がセルビア共和国を初めて出国する際に税関で破棄される。
非在住個人はしかる手続きを経て取得した有価証券を国外に持ち出すことが出来る。
非在住個人は€10000相当のディナールをセルビア共和国から持ち出し、またセルビア共和国に持ち込むことが出来る。
特に上記を超える価値のディナールについては、国外銀行で購入た旨の確認書記載の金額上限を超えなければ持ち込むことが出来る。この確認書はセルビア共和国入国の際に税関に提出しなければならない。

 
入国後に必要な登録手続き

1.観光や友人の訪問など、3ヶ月未満の滞在登録
外国籍人はセルビア共和国到着から12時間以内に、ホテルなど代金を得てサービスを提供する個人や組織によって、または外国籍人がゲストとして滞在する先の個人によって、その滞在を所管官庁(外国籍人の滞在先を管轄する警察署)に登録されなければなりません。
上記で述べた滞在先等を利用しない外国籍人は、セルビア共和国到着翌日までの24時間以内に、自ら所管官庁で滞在登録をする義務があります。
出国の前日には登録した所管官庁にて登録の抹消を受けてください。

2.その他 3ヶ月以上の滞在登録
一時滞在の申請は、外国籍人が滞在登録をした所管官庁の内務局に提出します。

すべての一時滞在申請で必須の書類:
    1. 有効なパスポート
    2. 記入済み申請書
    3. 滞在登録証
    4. 写真2枚

婚姻に基づく一時滞在申請に必要なもの:
    1. 上記1-4
    5. 結婚許可証の抄本(6ヶ月未満のもの)
    6. 配偶者の資産収入証明、および定められた税金の支払い証明

就学、研究、訓練、実習目的の滞在申請に必要なもの:
    1. 上記1-4
    5. 定められた税金の支払い証明
    6. 大学、学校、その他機関が発行した証明書と学資金の証明(銀行預金もしくは奨学金の証明)

上記の事由での一時滞在申請を行う場合、外国籍人はセルビア共和国到着の日から3日以内に申請書類を提出しなければなりません。

企業開設に基づく滞在申請に必要なもの:

    1. 上記1-4
    5. 商事裁判所発行の企業開設認可
    6. 設立宣言

就労に基づく一時滞在申請

    1. 上記1-4
    5. 商事裁判所発行の企業登録認可
    6. 企業経営の年間収支および現行年収支
    7. 企業との雇用契約と、かかる外国籍人の雇用に関する労働局の見解

ただし、外国籍人の雇用関係が労働技術協力契約による専門的労働、技術移転や対外投資の長期生産協力の場合、上記見解は必要ない。

滞在の申請は、外国籍人が滞在登録をした所管官庁の内務局に提出します。
通常、すべての事由において一時滞在申請した場合、手続きに必要な期間は最長15日間です。

 
セルビア共和国の歴史(一般情報)

セルビア共和国が位置するバルカン半島は中東欧に紀元前7000年から3500年にかけて存在していた古きヨーロッパ社会の中心で、その文化の痕跡はセルビアのベオグラード近郊のヴィンチャやスタルチェヴォ、ドナウ沿いのレペンスキ・ヴィールで見ることが出来ます。

紀元前3世紀からこの地域はケルト族、ローマ人、その他様々な民族に支配され、5世紀終わりごろにはヴィザンチンの支配に屈することになります。この頃、中東欧部に住むインド・ヨーロッパ語族のグループである半遊牧民族のスラブ人が移住が始めました。セルビア初の国家は西暦850年頃、セルビア人のキリスト信仰拡大と、チリリツァと呼ばれるセルビア文字の誕生に影響を及ぼしたヴィザンチン支持のもとで建国されました。チリリツァはギリシャアルファベットに基づき、スラブ言語に適応させた文字なのです。

セルビアの歴史上、その系統がセルビアの王であり、1217年からラシュカ通りに構えられていたネマニッチ家が重要な位置を占めています。初めて法律を制定した9代目であるドゥシャンが統治していた14世紀、ネマニッチ帝国はもっとも拡大しており、現在のギリシャ、マケドニア、アルバニア、モンテネグロ、ボスニアの一部と北部を除いたセルビアを統治していました。

1219年、独立したセルビア正教会がジチャ修道院に造られ、のちにコソヴォのペーチに中心をおく総主教に成長しました。これが影響してセルビア人が信仰面で統合され、現在世界遺産となっているソポチャニ(1260年建造)やデチャニ(1327年建造)のような、多数の教会や修道院が建設されました。

14世紀からは現在のセルビア共和国の一部がトルコに占領され、19世紀末まで続いたバルカンのトルコ支配(オスマン帝国)が始まりました。主な戦いとして1389年6月28日のコソボ紛争があり、セルビア人は数々のセルビアの叙情詩でも歌われているような大敗を記したのです。

15世紀中頃以降、国の首都がラシュカからベオグラード、そして北部のスメデレヴォに移されたとき、セルビア人はトルコ帝国の一部となりました。この5世紀に渡るトルコの文化と言語の影響は果てしなく大きいものです。最もよく表れているのは食事でしょう。しかしながらトルコ人の拡大はすんなりとはいかず、何世紀にも渡り時には大規模な移住を伴う暴動が発生しました。

19世紀のカラジョルジェ(黒いジョルジェの意)のような反乱の指導者も幾人かセルビアの民族詩に歌われています。そして1815年にトルコ人がセルビア北部から追放され、独立した国家が始まりました。

18世紀からはセルビアと当時オーストリアハンガリーだったドナウ川の向こう側の移民たちとの交流が強化し始めます。19世紀中には学者ヴーク・ステファノヴィッチ・カラジッチの功績により、セルビア文学言語と多くの記録書物の作成がなされました。

1912年と1913年、セルビア共和国はブルガリア、ギリシャとともに、トルコ支配から完全に逃れ、領土問題を解決するために二つのバルカン戦争に参加。そして1914年から1918年まで第一次世界大戦で戦い、その後セルビア人クロアチア人スロベニア人王国が建国されたのです。1929年にはユーゴスラヴィア王国に名称を変え、同年に在日本名誉領事として初めて、上山英一郎氏が任命されました。

アメリカやフランス側として戦った第2次世界大戦以後、ユーゴスラヴィア社会主義共和国、のちのユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国がチトー指導の下建国されました。この頃の特徴としては、冷戦時代は非同盟国とのつながりと独立政治への望み、50年代、60年代には経済と観光の急速な発展があげられます。

その後1991年から1992年にかけてスロヴェニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが次々と独立し、残るセルビアとモンテネグロがユーゴスラヴィア連邦共和国を発足させた。

2000年10月5日のミロシェヴィッチ政権崩壊に伴いモンテネグロは独立への動きを加速させるが、この独立問題に3年間の猶予期間を置き、国家形態を変える形で連合国家セルビア・モンテネグロとなった。
そして2006年モンテネグロで独立を問う国民投票が行われ、独立推進派が勝利したことで2006年6月5日、セルビア・モンテネグロを始めとする旧ユーゴスラヴィアの継承国としてのセルビア共和国が誕生した。